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長者番付1位 孫正義は竜馬によって作られた~生い立ち~①

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長者番付1位 孫正義は竜馬によって作られた~生い立ち~①
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志高く 座右の銘

15歳の時に読んだ司馬遼太郎の“竜馬がゆく”
これが孫氏に一回しかない人生自分は何のために生きるのかを
考えるきっかけとなった。

アメリカへ

竜馬がアメリカに行ってみたい。
吉田松陰の密航が見つかって切腹させられたアメリカ。
そのアメリカに語学留学で1か月行ってみた。
行ったら目から鱗だった。
だからアメリカに行くと決心した。

渡米を決心させたもの

生い立ち

孫氏のおばあちゃんは14歳で日本に来た。
そしておじいちゃんと結婚をした。
それから戦争の体験。
日本国籍でない家族は泥水をすすって生き抜いてきた。

生まれは無番地

孫氏が生まれるころは何とか生きていけるようにはなっていたが、
住所は佐賀の無番地だった。
国鉄の線路わきにトタン屋根で、板を貼っての生活。
小さいころはおばあちゃんに子守をしてもらっていた。
正義散歩行くぞ~と言ったらリヤカーを引いていく。
リヤカーに乗ってしがみついてそれが楽しかった。
飼っている豚の餌に鳥栖市の駅前の食堂から残飯をもらって
くるのだ。おばあちゃんが大好きだった。
少し大きくなると大嫌いになった。
おばあちゃん=キムチ=韓国
これにまつわる様々なつらいことがいっぱいある。
息をひそめるように隠れるようにして日本名で生きていた。

父の吐血

そんな中で父が吐血をして入院したのだ。
1歳年上の兄は高校を中退して、泣き暮らしている母を支えて家計を賄った。
孫氏は思った。
なんとしてでも這い上がらなければいけない。
どうやって這い上がろう?
私は事業家になろう。と腹をくくった。
一時的な解決策ではなくて中長期に家族を支えられる事業を起こそう。

竜馬に衝撃

その時期に司馬遼太郎著「竜馬がゆく」を読んだ。
イジイジ・グジグジしていた自分が情けなくなった。
国籍だとか人種だとかなんだとか小さなことで悩んでいた自分がちっぽけに思えた。

母を振り切る

母は行くなと泣いた。ばあちゃんも泣いて止めた。
しかし孫氏はアメリカに行って事業の種を見つけてくる!!
絶対に家族を支えて見せる!
俺は立派な事業家になって孫正義の名前でみんな人間は一緒だと証明して見せると心に誓った。

韓国へ

孫氏はおばあちゃんに謝った。
おばあちゃんごめんね。
あんなにやさしかったおばあちゃんに大嫌いとか言ってごめんね。
アメリカに行く前にあんなに忌み嫌った韓国に行ってみたい。
そうして孫氏とおばあちゃん二人の韓国行きが決まった。
おばあちゃんと一緒に韓国を2週間回った。
小さな村で電気もないところ。
土地がやせているからリンゴも小さい。
でも、暗い蝋燭の光の中でみんなが笑っていた。
おばあちゃんは孫たちのズボンのつぎはぎの古着を風呂敷一杯持って行ってそれをお土産にしていた。子供たちは笑顔で日本の着物はきれいだ~と大喜びしてくれた。
おばあちゃんはいつも、苦しいことがあってもつらいことがあっても人さまのおかげだと言っていた。だから絶対人を恨んではいかんばい。人さまのおかげだけん。
これが口癖だった。

高校一年の1学期に退学渡米

父の吐血と入院、母の願いを振り切っての渡米決意。
その時の孫氏の想いは
これから何十年のことを思ったら家族のためにも、自分も何かでっかいことをして多くの人を助けられる何かをしたい。
引きちぎれるほど頑張ってみたい。
100万1000万の人を助けたい。
なにかでっかいことを為したい。
親せきからもいろいろ言われたが、それを振り切る。
高校の担任教師や校長にも休学ということで止められたが
弱い自分だからこそ退路を断たないといけないと退学して渡米する。

1974年渡米

アメリカは日本より10年進んでいる。
最先端の知識を身に着けて事業を起こすんだ!
固く決意した16歳の少年は米国へ旅立った。

藤田田

しかしこの時もう一つのエピソードがある。
マクドナルドに九州の高校生が藤田田さんの本を読んで感動した。藤田田さんに会いたいと何度も電話をしてきた。その高校生は何度も断られた後とうとう飛行機で東京に行き社長室に電話をかける。
藤田田はここまで粘り強いのは見たことがないと一度会うことにした。
高校生は藤田氏に「僕はアメリカに行こうと思う。何を勉強したらいいか。」と聞く。
藤田氏は「今のコンピューターはこの部屋くらいの大きさだがそのうちにもっと小さくなってもっと必要になる。だからコンピューターを学ぶといい。」と答えた。
その高校生が孫氏だった。

勉強勉強勉強

両親のことや自分の志を思い、
渡米してからはめちゃくちゃ死ぬほど勉強をした。
肺炎になって発熱して体がだるくてもいつも一番前の席で聴講。
肺炎になっていることすらわからなかった。
歩く時もトイレに行くときも食べるときも教科書を読んでいた。
運転中もイヤホンで講義のテープを聞いた。
夜も意識がもうろうとしてくるまで勉強した。
寝ている時間だけが唯一勉強をしていない時間だった。
睡眠時間は一日3時間だったという。
物理的限界まで勉強した。

飛び級

渡米して1週間、1年の勉強内容はこれ以上学ぶことはないと判断し、
校長に掛け合って2年に変えてもらった。
それから高校2年の本を全部取り寄せ熟読3日後にはまた、掛け合って3年に変えてもらった。それからさらに3日間すべての教科書を読み、合計2週間で卒業した。

大学資格検定試験

渡米3週間で大学資格検定試験を受ける。
だが問題は解けるが正確に英語で書ける自信がない。
そこで試験官に辞書の使用を認めてくれるように頼んだ。
最初断っていた試験官だったがその熱意に辞書の使用を認めてもらった。
検定試験に合格。

大学

カリフォルニアバークレー校に入学。
そこで、これからはコンピューターの時代だ。
デジタル情報革命が必ず起きると確信した。
大学でも死ぬほど勉強した。
3年・19歳の時、マイクロコンピューターのチップの写真を見た。
未来都市の写真かと思われたそれは次のページをめくると、マイクロチップの拡大写真だった。指の先に乗っかるぐらいの大きさのチップを見た時、人類はなんと素晴らしいのだろうと感動した。
これが20世紀なら21世紀にはどんな世の中になるのだろうと思った。
また、当時お金もなかったので一日5分何かして1年間で1千万円ぐらいのアルバイトないかなと友達に言ったら笑われた。
そこでこれは発明しかないと考えた。

発明

1日5分と言うのは自分にとっては大変な贅沢であった。
と言うのも、食事も片手に教科書、片手にフォークをもって、食べていた。
食べ物は目の端にぼーっと映ったものをフォークで刺して食べる生活だったので両眼で見て食べることができたらどんなにいいだろうと、両眼で見て食べるのが大変な贅沢に思えていた。
そんな中で5分間勉強せずに発明に費やした。
一日5分で何か一つ発明することにした。
発明したのは250ほど完成した。
その一つがポケットコンピューター、アイフォンのはしりのようなものだ。
ひとりではできないので助手を雇うことにした。プロジェクトチームに5・6人雇った。
手伝ってもらったのは大学の教授たち。
マイクロコンピューターのハードの設計、チップの設計はだれが一番有能な教授ですか?
ソフトのプログラムは誰が一番有能な助教授か?と先生方に電話しまくって尋ねまくって、
「こういう発明して特許を出願した。試作機を作って売り込みに行きたい。
試作機を作るのに先生方の力を貸してください。」
と頼み込んだ。
「1時間いくらで払います。私は時給いくらにしたらいいのか分からないので先生がほしい金額を出してください。いくらでも先生が言う値段を払います。だから無茶な値段は言わないでください。ただ、一つ条件があります。
それは特許が取れたら満額言われた通りの金額を払います。特許が取れなかったらありません。」というものだった。
教授たちは笑いながら協力してくれた。
人類初の電子辞書の最初の原型をこの時孫正義氏が作った。

ライフプラン

この時19歳で人生のライフプランを立てた。
20代で名乗りを上げる。
30台で千億や2千億の軍資金をためる
40代で1兆2兆円と数える勝負をする
50代でビジネスモデルを完成させる
60代で次の経営陣にバトンタッチをする

発明の結果

そうして1年半で特許が取れた。
これは1億7千万円でシャープに売った。
もう一つのゲームも1億5千万円で売ることができた。
1年半で1千万ではなく3億以上も稼いだ

出典 http://livedoor.blogimg.jp

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